御開扉は盛大に開催され、終了致しました。多くの皆様にご参拝いただき、感謝申し上げます。23軒しかない小さな集落ですが、住民の力を合せて無事に執り行う事ができました。

栄福寺薬師堂について

<国指定 重要文化財>


栄福寺薬師堂は、印西市(旧本埜村)の角田という小さな集落にあり、熊野神社と同じ境内に共存している、ちょっと面白い形態を成しています。(この写真の左が栄福寺薬師堂、右が熊野神社です。)

かつては神仏習合で篤く信仰されていたことがうかがえます。

また、このお寺は印西大師の65番目の札所にもなっています。印西大師は、四国八十八箇所のお遍路を模した大師巡礼で、1721年(享保6年)に開かれた県内最古の大師講です。

ここには「左甚五郎が一夜で作った」と言われる、ビンヅルさんもいます。

※ビンヅル(賓頭盧)さん…お釈迦様の弟子の1人で、神通力があり、撫でると病気やケガを治してくれる、と言われています。

 

ここは、栄福寺・熊野神社・印西大師の3つの行事がおこなわれる場所。角田の住民がみんなで管理し、大切に守っています。

 

入り口には見上げるほど大きなイチョウの木があります。

秋になると、イチョウの黄色の葉と薬師堂の朱色が目に鮮やかで、とても美しいですよ。


薬師堂の歴史と建物

栄福寺は行基による開基と伝えられていますが、その沿革は明らかでなく、厨子と本尊は印旛村鎌刈から勧請されたと伝えられています。

附(つけたり)に指定されている棟札には「寛政7(1466)年6月柱立、応仁3(1469)年霜月上棟、文明4(1472)年2月成就」と墨書銘があり、室町時代中期の建物であることがわかりました。

 

正面・側面ともに三間の単層の堂で、屋根は茅葺寄棟造です。

正面階段部分の向拝は、江戸時代中期に設けられたものです。

正面には棧唐戸が備えられ、側面の前一間は舞良戸(まいらど)、中の間は板戸、その他は縦板壁となっています。

外陣は、鏡天井に極彩色で天女図を描き、内陣は来迎柱を立て、その前に極彩色で飾った須弥壇を設け、薬師如来像を安置した厨子があります。

 

印西市小倉の宝珠院観音堂と構造形式が似ていることでも知られています。

 

建立時代の明確な建築物として県下最古で、大変貴重なものです。

 

(昭和29年9月17日 重要文化財指定)

 <この文章は、千葉県と印西市のホームページから引用しています。>